ディズニープリンセスを線で考える

ディズニープリンセスを過去作品から考えて考察していくのが主です。どっちかというと懐古厨なのかもしれせんが、どのプリンセスもやっぱり好きです。憧れはオーロラ姫です。

バートン版ダンボが公開

ダンボが公開されました。

とは言え、私観ておりません。
今月の6日に観に行く予定なのです。
はやる気持ちを抑えつつ、ウォルト版ダンボを夜な夜な観たり、他のバートン作品を観たりしております。

ダンボがティムバートンによって公開されるという噂はまことしやかに伝えられていまして、去年の年末辺りに公式発表を知ってワクワクしてます。というのもバートン大好きだから。

なんだかダンボってファンタジーランドのキュートなアトラクションのイメージのせいで最初にバートンの映画化を聞いたとき「?」が止まなかったのを覚えてます。でも、よくよく考えたらティムバートンらしいチョイスな気がするんです。すでに公開されたディズニー版ダンボについて話しながらティムバートンがダンボを選んだ理由を考えてみたいと思います。

※ウォルト版だけどダンボのネタバレあるから注意ね!あとティムバートン作品(特にオイスターボーイ、アリス)もいくつか紹介しちゃうからね。

ダンボは正直ハートブレイク作品
あけすけな言葉になってしまいますが、ダンボって「奇形児」の物語なんですね。あの大きな耳はチャームポイントになっていますが劇中では完全に障がい扱い。
そもそもダンボとは「ジャンボ」という母親象の名とDumb(使い物にならない)という意味をもじった意地悪なあだ名です。ノートルダムの鐘で背虫男がカジモド(半分)と呼ばれてるようなものです。日本語訳だと割とマイルドな表現になってるんですが 、原語だとだとわざとらしく他の象が「FREAK(元は怪物という意味なのでしょうがここでは身体障がい者を指します)」のスペルを発してダンボを示唆する意地悪過ぎるシーンも。
タイトルを含め作中では一貫してダンボと呼ばれ続けますが、本名はジャンボ・ジュニアであることは映画の最初でわかるのに、徹底した出来損ない、怪物呼ばわりというなんとも胸が痛むストーリー展開。

ティムバートンのファンタジー❤︎
さて、ティムバートンによる「奇形児」をモチーフにした作品といえば、「オイスターボーイの憂鬱な死」です。これは彼による散文詩とイラストを集め一冊の本にしたもの。本のタイトルはその作品群の一つからですがそれがどれもこれも寓話的に奇形を示唆するものばかり。
機械と母親の不倫によってロボットの身体で生まれた忌み子の話(何言ってるか分からないと思うけど読んで)とか、目がたくさんある女の子の話(ストレートだなァ)とか。
そもそもオイスターボーイとは、頭がオイスター(牡蠣)の男の子。母親がハネムーン中に食べた海産物が原因なのかねぇ……。(明記されてないけど個人的には環境汚染による母子感染の奇形とかかなぁとか思ったり)
この男の子もサムって一応人名がついてるんだけど、両親から「そこの貝みたいなの」と呼ばれたりする。完全にタイトルがネタバレなんだけど、オイスターボーイは両親によって憂鬱な死を遂げるんだよね。かわいそう。
映画と比べると稚拙だし単発で捻りも特に無いけどその分この作品には彼の創作のエッセンスがギュッと詰まってる。彼はどうしてここまで奇形を描くんだろう?

バートン版ダンボはどうなる?
ティムバートンの映画ってね、彼はハリウッドの人だから一応ハッピーエンドにはしてくれるんだけどちょっと釈然としないところを残してくれて好き。
代表作のシザーハンズコープスブライドはちょっとハッピーとは言えないエンド。アリスやチャーリーのチョコレート工場は全体としてはハッピーだけど、赤の女王や他の子供たちのことを考えるとなんかかわいそうなんだよね。何というか、ただの悪役にまでバックボーンを与えるからその人たちのことを考えちゃうし、自分もそうなったらどうしようかなって。(赤の女王の追放シーンは喪黒にドーンされた気分になったなァ……。)
総括して言えることの一つとして群れから疎外されたり、騙されたりする人を描くのが上手い。それが大体の場合、奇形や気質つまり心身のどこかが変わってることが原因であるというのがとてもリアル。変わってるだけでなんでいじめられなきゃいけないんだろ? 変わってる自分って悪役なのかなあ?って声が聞こえてくるような作品が多い。
おそらくティムバートン自身が割とマイノリティな子供だったからというのが大きいんだろうけど、トラウマとトキメキのバランスよく人間心理の暗部に斬り込むのが上手な人だと思う。
今回ダンボに挑戦してもらえた訳だけど、オイスターボーイのように分かりやすくそれでいてファンタジーな身体つきをした小僧のダンボは前々から好きだったのかな?って思ったりした。どう転んでもバートンらしく、ダンボらしくなりそうだなと安心した気持ちで観れそうです。
(蛇足だけど個人的に期待したいのはピンクエレファントのシークエンス。トラウマとして有名なこのシーン、ティムバートンはどこまで「改悪」してくれるかなぁとワクワクします。)

蛇足の蛇足。
最後にダンボに近い作品「フリークス」を紹介して終わります。本邦公開時には「怪物園」という禍々しい和訳をつけられた白黒映画。フリークスは前述の「Freaks」つまり、怪物達。
これはサーカスで見世物として生きる人々が登場します。演者はほぼ身体障がい者
ショックで流産した観客がいたという「本当かよ?」と思うタレコミのあるカルト作品。白黒だしサムネとかあったら深層ウェブっぽい気もしなくはないけども。

安心してください皆さん。怖くないですよ。

「グロ映画を作ろうぜ!」という意気込みがある訳ではなく、ただただ身体障がい者を身体障がい者が演じてるだけ。それがショッキングと言われたらそれまでだけど、ただの人間群像劇。フィクション7割のドキュメンタリー3割みたいな作品。
ダンボと一緒に紹介したのはダンボの世界はファンタジーではないということを紹介したかったので。サーカスに売られて笑い物にされた生き物がたくさんいたのです。そして、人間の体など遺伝子のイタズラに過ぎない。
フリークスの冒頭、日本でいうところの「寄ってらっしゃい見てらっしゃい」みたいな語りからオープニングが始まるんだけど、この語り手が「皆さんもこうなる運命だったかもしれない」って言うところは毎回ドキッとする。

それにしても「芸ができる」彼らをどうして嗤うことができようか。この映画やダンボ、シザーハンズあたりを観ると変わり者を迫害してやいないかと反省したくなる。